学級崩壊に関して

学級崩壊というのは、中学校にも勿論あるのだが、小学校ではさらに深刻だそうだ。
この前小学生相手の体験授業なるものをしたが、皆おとなしく座って聞いていて、小学生というのは可愛いものだと思ったが、彼らだって自分の住み慣れた教室では暴れるかも知れないし、自分は暴れないけどそういう環境の中で暮らしている子どもたちだていたのかも知れない。それくらい学級崩壊は身近なことではないかとぼくは思っている。中学校だって、崩壊していて授業にならないクラスはある。これは公立であろうと、私立であろうと変わらない。
教師の側に対して言いたいのは、絶対に教師一人の責任ではないということ。
一人の教師に対する反抗とは決定的に違うの何かなのだ。少なくとも、ダメ教師に対する反抗という形であるなら、話が分かるのだけれど、子どもたちがわけわかんなくなってしまっているのが学級崩壊なのである。子どもが学校や教師の権威を踏みにじって、好き放題をやりだすという現象なのである。
教師にとっては、これはかなり恐怖だ。
というのも、すべては自分の責任ではないかと思い込まされてしまっているからである。荒れたらすべて自分の責任だ! 小学校は担任が学級を丸抱えしている分、その思いは強いに違いない。すると、教師の気持ちが荒んでいく。学校に行くのが嫌になってくる。あるいは子どもたちの前に立てない。
でも、ぼくは思うのだけれど、本当に問題なのは、荒れる子どもたちではなく、子どもを取り囲む大人たちの方なのではないだろうか。具体的には、親たち、そして学校組織を作る教員たち。大人たちが、きちんと分かりあえてないのではないだろうか。学校は、担任に責任を押し付け、責任を共有しようとしていないに違いない。学年とか学級とかがタコツボ化してしまって、窒息しそうになっている。そういう状況において、学級崩壊は教師にとって恐怖であり続ける。その結果、状況を分析したり、原因を探って問題に対処しようとする前向きな姿勢が生まれてこない。だから恐怖の循環に教員自身が陥って、ノイローゼになってしまうのではないだろうか。
自分を縛っている見えない力を見抜いて、それに挑むことが必要だ。そうできなくなっていたら、その学校は、組織としてヤバいことになっていないかを疑ってみるべきだ。