タバコを吸わない人生

僕はタバコはやりません。といっても、一時期は相当なヘヴィスモーカーでした。一日にひと箱は吸っていました。タバコは手放せない、という生活を10年近く送りました。
最近、講談社現代新書の『まだ、タバコですか?』を読んだのですが、これを読むと本当にタバコを止めてよかったと思います。こんな害毒でしかないものに精神まで侵されていたのかと思うと、本当に悔しくなります。
でも、タバコの一服ってすごい開放感ですからね。「オレは自由だ~」と叫びたくなるような、イヌイヒロシ的ハイテンションになれることうけあいです。そこが精神依存に陥る最もヤバいところです。
僕の場合は、ニコチン中毒というより、精神依存だったのでしょう。ニコチンパッチなんか使わずに禁煙できましたから。

でも、ニコチン中毒なんかより精神依存の方が、よっぽどキツいのではないかと僕は思います。本当に、抜け出すことなんて出来そうになかった。
僕は、もうタバコを吸わないと決めてから、ひたすら本を読んだのです。(変な止め方ですね)
例えば、最初の頃は、タバコの害について書かれた本や解剖学的に説明された写真入りの医学書などを立ち読みしたりしました。肺が真っ黒になってる写真を直視する時間を過ごしました。また、口腔環境も悪化するので、口腔写真をひたすら見ていました。大きな書店の医学書コーナーに行くと、そういうものをいっぱい見れるんですね。写真を見るのは効果的でした。
また、家でも、ベッドにもぐってじーっと本を読む日々を過ごしました。その頃の仕事は非常勤だったので、帰りが早かったし、季節も秋から冬へと向かっている時期だったので、寒くて暗くなってくる頃でした。夕方からベッドにもぐりこんで、ずーっと本を読むのって、結構至福です。本を通して想像の世界に遊ぶのです。そんなことが許されるのか? 禁煙実践者には許されると僕は思います。
タバコをやめるには、毎日の生活のスピードから離脱する必要があります。
一種の瞑想生活みたいなものに入る必要があると思います。

本を読むには、落ち着く必要がある。落ち着くためには、実際に腰を下ろさなければならない。比喩的な意味でも、あるいは現実的にも。

現実社会から一歩引いて、自分ひとりの孤独な時間を過ごす中で、もう一度、精神を立て直すということが、僕にとっての禁煙生活でした。禁煙を始めると同時に怪我をしたことも、ある意味で幸いしました。だって、じ~っとすることを余儀なくされるのですから。
そんな、じ~っとする日々の生活の中で、タバコを吸わないことを当たり前にしていったのです。
今でもタバコを吸ってしまう夢を見ます。喉が痒くなることもしばしばです。いつか老人になって、くたばる日も近くなった頃、タバコを吸ってもいいよな、と豪語したりもします。

でも、このまま行くと、癌の末期宣告でもされない限り、一生タバコを吸わないかも知れないと思います。だって、タバコを吸っているときは、絶えず精神活動を中断しなければならなかったけれど、今はほとんど無休ですから。つまり息の長い思考を続けることができています。そしてそれは、何よりの大きなメリットだということを、自分がよく分かっているのですから。