生活の道具としてのノート

最近、アイデアマラソン考案者樋口健夫氏の「ノート術」という本を読み返している。
ノートを生活の中にどう位置づけ、どう活用していくかという問題にとても関心がある。
樋口氏は「三次ノート」という概念を生み出した。
これは、単なる記録やメモといった目的だけでなく、むしろノートという媒体の持つ可能性を最大限に
引き出し、発想や研究といった思考のプラットフォームとしてノートを構築するという考え方だ。

ノートの種類の豊富さという面では、本当に今の時代は恵まれている。様々なノートがあり、様々嗜好に応えてくれるだけの幅の広さと奥深さがある。
そんな中で、ノートを生活の道具として生かすということは、昨今の手帳ブームや文房具ブームに反して、方法論的なバリエーションに不足してきているような感じもする。
モノとして見たノートへの嗜好はよく語られるのに、ノートの使い方についての議論は手薄である。
ノートはどんなものでも良い。無印のシンプルなノートで十分なのではないだろうか。
そうであるなら、シンプルなものをどうやったら「三次的」に使えるのかを考えるべきだ。