いじめをめぐる言説

ここ最近いじめが問題化して、様々な波紋を広げているが、子どもたちの自殺の連鎖反応ほど悲惨で無意味なことはない。こんなことして何になるんだ? 朝日新聞では連日「いじめられている君へ」「いじめている君へ」と題された著名人によるコラムが連載されている。自殺の報道が連鎖反応を引き起こしているというメディアの自省から、こうしたコラム連載に至ったのであろう。一方で、いじめと呼ばれる現象に対する複眼思考はいっさい働かず、いじめという固定的な観念のもと、多くの言葉が繰り出されている。
いじめ自殺は、「いじめ」と呼ばれる現象から撤退することが出来ないからこそ、追い詰められて自殺するのである。家庭すら緊急避難場所ではなくなってしまっているという現実を如実に反映しているのである。極論するなら、「いじめ」は確かに問題だが、「いじめ」から避難できないということの方が一層悲惨で、またそういう事態が進んでしまっているのだ。それはなぜか。そういうことをきちんと議論せねば・・・