正義と多数決を考える

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多数決が正義なのか?という問いのもと、正しい決め方をめぐる人類の歴史を易しく書いた本書は、現在においても必読文献だろう。子供向けに書かれているが、大人の入門書として優れていると思う。
ただ、出版が少し古く、引かれている例が湾岸戦争だったりして、今の子供たちにはピンとこない話題になっている。

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こちはは、同じテーマを扱った本で2015年の出版。

また、同書著者がオイコノミアに出演したということで、

こちらにも参考に

というわけで、今の社会で信じられている多数決だが、その課題や歴史的経緯などを紐解けば、たいへん奥の深い勉強が必要になってくる。
僕が興味を持ったのは、たまたま図書館で斉藤規さんの本を見かけたことがきっかけだったが、自分のアンテナに引っかかったのは、恐らく今の多数決による決め方に対して、無意識に問題意識を持っていたせいだろう。
そして、オイコノミアで2017年に取り上げられたというのも、何かの縁を感じる。
恐らく、この時期にこのテーマが浮上してきたのは、日本の選挙制度をめぐる問題意識が背景にあるのだろうが、民主主義の本義を見失いつつある現状を憂えざるを得ない事態が露呈してきたせいである。
だいたい、選挙によってえらばれたという政治家が、国民の視点に立った発言が出来なかったり、国民を戦争に送り出そうとする政策に舵を切ったりするのはどういうわけか。先日のセクハラ問題にしても、省庁の文書隠しや改ざん問題にしても、もう言葉が死んでしまっている。こんな粗末で貧しい言葉しか持てない人たちが、一国のリーダーだったりエリートだったりするのかということに、恐ろしく驚く。
それは政治に限られたことではなく、職場などでも死んだ言葉しかない。大衆レベルで、言葉の劣化が進んでいる。と同時に、空気に押し流されるだけの愚衆迎合社会と化してきている。
こうした現状への不満、不安が「多数決を疑う」前提を用意しているのではないかと思う。