「自分を鍛える」

いかに生きるべきかという問題は、どんな習慣を身に付けるべきかという問題と同義である。
かつて「自分を鍛える」というドットの本を読み、こんな風に勤勉に生きていけたら、自分は何者かになれるのではないか?!と思った。しかし、現実はこの通りである。
もっとも、これには自分の習慣が良くないからだという言い訳ができるだろう。
もっといい習慣を身に付けていたなら(身に付けたなら)、自分はさらに成長することができるのではないか、と。
酒やたばこといった依存性のあるものからは一定の距離を取ることができるようになった。
しかしそれで十分ではない。
賢人は、当たり前の単純なことを疎かにせず、コツコツと取り組む。
凡人は、誰でもできる当たり前の簡単なことを馬鹿にする。
そうなのだ、当たり前のことをコツコツと積み重ねる愚直さが自分には足りないのだ。
そう思うと、コツコツやることが生きがいになりそうな気がしてきた。

今、ビジネス書などで読書や勉強法がもてはやされたり、手帳術が流行したりするのは、現代人が時間を有効に使って成長したいという思いが強いからだ。その背景には、コツコツと積みあげていくことへの秘かな憧れがある。
コツコツと築いていって、いつか巨大な何かを建築する夢である。
明治の初めに啓蒙書が読まれたように、今もまた啓蒙書のニーズは高まっているのではないだろうか。
でも、アンドレ・ジッドの「自分を鍛える」は座右に置いて、今も読みたい本の一冊である。