読書会に参加した

今日もタバコを吸ってみたが、かなり気分が悪くなった。
その前にうどんを食べたのがよくなかったのだろうか。
満腹なのと、今日何度目かのコーヒーを飲んだのと、タバコの組み合わせが悪かったのかも知れない。
もう、タバコが体質的に合わなくなっているのだろう。
昔はヘヴィースモーカーだったが、止めて12、3年経つうちに体質が変わってしまったようだ。
アルコールも、同じならいいのだけれど。

昨日は、ちょっとした読書会に参加したのだが、
講師のレジュメ発表が、内容的に多角的に論じられており、様々な点に目配せをした内容だった。
(さすが東大だけのことはあると思った。)
ただ、その後の議論が盛り上がらない。
内容が広すぎて、議論の焦点が定まらなのだ。
これは、読書会のみならず、議論というものの一問題を考える大きなヒントになった。

あくまで読書会なので、一般素人の集まりであり、専門的な内容に踏み込める人もいなかったのだろうが、そのことはそれほど重要じゃない。
誰もが等しく発言でき、様々な視点で意見を出し合えるのでなければ、読書会として成功したと言えないんじゃないだろうかと思う。
では、どうしたら「開かれた」場となるのか。
それはずばり、議論の焦点化である。
あれもこれも論じつくすということはできないし、話しが深まっていかない場では、多くの人がストレスを感じるのではないだろうか。
僕はかなりストレスを感じる方だ。
であれば、どうしたら「開かれた」議論が生まれるのか。
話題が絞り込まれ、参加者が多様な立場でテーマに自分を関わらせることができたときではないだろうか。
だから、読書会は次のステップが必要だった。
(1)講師のレクチャー
(2)テーマ、論点の絞り込み
(3)参加者からの意見。できれば一人ひとりに発言の機会が与えられる。
(4)挙がった話の中から、興味深い点を講師が拾う。講師のコメント。
(5)質疑、意見
こうして練られた話し合いの場となるかどうかは、ファシリエーターの腕にもかかている。
正直、昨日の読書会では、ファシリエーターが機能していなかった。
参加者の誰かが、こうしたファシリエーターの役目買って出てもいいと思うが、実際のところ難しい。
ただ、そういう意識をもって参加することが必要だと感じた。
大事なのは(2)の論点の絞り込みだと思う。
漫然と話しを聞くのではなく、自分を関わらせながら、どこに論点のツボがあるのかを探さなければならない。
それができるようになることが、第一の壁だと考えさせられた。