普天間問題

最低でも県外移設と言っていたのに、どうしたことか急に掌返した鳩山さん。
本土の人間の多くも、「沖縄県民のお怒りはご尤も」と思い、迷走する鳩さんに「おいおい、どうしちゃったんだよ」と呆れ顔。「火の粉が我が身に降りかからなければ同情もできるというもの」とアイロニカルに自己分析しつつも、「やっぱりあれじゃ沖縄県民も期待もたされただけに可愛そうだ、せめて説明責任くらい果たせよ」と本土人も猛り狂い出す。
鳩さんは一体「公共の利益」として、誰の利益を代弁しようとしたんでしょうかね。誰からも恨まれたり呆れられたりされてしまって、立つ瀬がない。
「抑止力」という言葉が、ここにきて俄かに注目を浴びだした。
県外移設という「場所の問題」が、これほど「抑止力」なるものと関連しているという意味が、庶民には解せない。
普天間辺野古にもってったって、あの美しい海と自然を破壊こそすれ、何か特別普天間以上のメリットがあるかは訝しい。むしろ政治的混乱と不信と禍根のみを残す結果となろう。
沖縄という場所が、「抑止力」にとってどんな意味を持つのかについては、ウチダ先生のブログを読んで、その深い意味を理解した。もちろん、場所だけのことではないのであろう。
問題は米国の意図する抑止力と、国内的に想定されている抑止力の意味とでは、その意味内容は、どの程度喰い違っていたのか興味深い。この国の政治の現場において、世界地図についての理解は、ことほど左様にお粗末なものでしかなかったのだろうか。
「日米合意を優先させた結果ではない」と鳩さんは仰ったと記憶するが、その真意は全くよく見えなかった。米国の属国ではなく、対等な立場でこの国が果たすべき役割としての「抑止力」に努めていく必要を理解していますよ、という宣言のようにも聞こえてくる。それにしては、8ヶ月は長すぎたのではないか。政権とった昨年9月に、さっさと悟って、戦略を立てられなかったのか。
説明をするのでも、弁解するのでもなく、あの生気を失った会見の表情を見るたびに、沈黙の裏に押し隠されたものの異様さを思う。