毎日同じ夢を見る

毎日、同じような夢を見る。もっとも、毎回それぞれのディテールは異なるのだが。
それでも、日々の夢は、同じ都市を舞台としている。
それはまるでジグソーのピースを埋めていくことによって、一つの都市の全体像を作り上げていくかのようでもある。
今日は、街の建物の中のある空間にいる。昨日は、そこから鉄道で移動した小さな町にある森を。一昨日は、その森の入り口の神社を通って、山の中腹にまで辿り着く。
先日は、その森の中にある学校に赴任した夢を見た。そして、昨日も、どうやら同じ状況設定の夢を見た。
村上春樹の描くパラレルワールドのように、僕はもう一つの夢の世界を生きているような錯覚にとらわれる。

いつから、こんな夢を見るようになったのか。
ずいぶん前からのような気もするし、つい最近のことのようでもある。
しかし、おそらく大学受験前後の頃からなのではないか、というのが一応の僕なりの結論である。
なぜかといえば、僕は、自分の受験をどうしよう・・・?という焦りの夢を見た頃から、夢の中のこの街を生きていると記憶しているからである。

人がよく「人生の三分の一を眠って過ごす」というとき、それは、何か人生の貴重な時間の一部を無駄にしてしまっているというような、「浪費」のニュアンスで語られたりするのだけど、僕の実感では、眠りもまた「夢の世界」を生きる特殊な経験の場に思えて仕方がない。
現実の中での自分のバランスが保てないとき、夢の世界の経験によって、辛うじて自分なりに均衡を保つことができるような仕組みがあるのではないか?という気がしてならない。

きっとこれからも、夢の中の世界地図は、拡大を続けていくのだろう。