夏目漱石展を見に行ってきた。

夏目漱石展に行ってきました。
漱石の蔵書の数々や、ノートや原稿の数々を見ることができました。
漱石の〈言葉との格闘〉とは何だったのか、ということを改めて考えさせられました。
そして〈言葉との格闘〉は、いたるところに垣間見ることができました。
蔵書の書き込み。本文のアンダーライン。余白に縦横に書き込まれたメモ。
それらを、生の姿で見ることができます。
漱石の精神が、すぐ目の前にあるかのような錯覚が生まれてきました。
これだけの本とノート類を見渡すと、さすがに漱石という人が自分に乗り移ってくるような気がしました。多くの観覧者が、漱石の残したメモや手帳やノートを見て「几帳面な人だね」と声を漏らしていました。僕もそう思いました。すごい几帳面。でも、漱石の几帳面さって、本当に何でなんだろう?


本当に、漱石はいやいや英国留学をしていたのだろうか?
本当に、漱石が博士を辞退したのは、権威を嫌ったからだろうか?
漱石は留学中に学校にも行かずにひたすら本を購入して勉強しているのですが、多くは英文学を中心とした西洋の文学、および思想、心理学などです。漱石は、確かに格闘していたのだし、その為にこそ留学していたのでしょう。漱石自身が妻の鏡子宛て書信で「こうやって本を読んで考える暇を得られたのが留学の大きな意味だ」みたいなことを言っている。それは漱石にとって、きっと必要な時間だったのでしょう。
漱石は、権威を否定して博士を辞退したのだろうか。
漱石の残した文面を読むとそのように読めますが、漱石は入院中で事実、博士授与に関する出頭命令に従うことは出来なかったということもあったのでしょう。大学を辞めて新聞屋になったことと、共通する何かが読み取れるかも知れない。
でも、漱石が新聞屋になったのは、権威を否定したかったからではないように思えます。
大学から貰う年俸が800円で、それでは足りないから他に二、三の学校でアルバイトせざるを得なかった。それが、朝日は月200円の給与と年二回の賞与を保証し、かつ漱石の自由な創作活動と発表の場を与えてくれた。漱石は教師の仕事にあまり魅力を感じていなかったので、漱石にとってやりたいことをやらせてくれる、まさに恰好の場であったようです。つまり利害の一致という面が強いという印象を受けました。
そう考えると、大学を辞めて新聞屋になったことと、権威を否定するということは別の問題だと言えます。漱石はなぜ博士を辞退したのか。

僕は、作者を信奉する立場を取らない文学研究の方法についての教育を受けたので、今もって作者の側からの作品解釈をしないというスタンスなのですが、そうすると漱石展を見ることの意味って何かと、つい考えてしまうのです。
でも、やっぱり見ておいてよかったな、見なきゃダメじゃないか? と思いました。
ノートや手帳に興味がある人、知的生産の現場を知りたい人にとって、漱石は最適のモデルを提供してくれています。ノートの書き込み、手帳に刻まれた一文字一文字を、念入りに、まじまじと眺めてくると、本当に勉強になりますよ。