「始める」技術

今月号の日経アソシエは「始める技術」の特集。
「始める」ためには「技術」が必要なのか。
これは「捨てる」技術のようなものである。それまでは誰も、それが「技術」だとは認識していない。そのため、死角のようになっていた問題の類である。
なぜ始められないのか?
誰もが「いつでも始められる」と考えている。しかし、今日は今日の仕事に追われ、終われば安堵し酒の一杯も飲んで開放感に浸りたい。この仕事を終えたらやろうと思っていたはずの何かは「また今度、時間のある時に」と翌日以降に先延ばしされる。しかし、翌日も同じことだ。仕事を終えれば開放感に浸りたいし、酒の一杯も飲めば、もう他の何かなどやる気にならなくなってしまう。(酒をやめろというご意見もあろうが、これは外せないのである。椎名誠じゃないけれど。)そういうわけで、仕事を終えたらやりたかった何かは、いつまでたっても始められない。翌日に持ち越されてしまう事柄は、明日やればよいと考えている限り永遠に手をつけることができない。
だからこそ「技術」という話になるのだろう。
まず、考えねばならないのは、「仕事を終えたらやろうとしていた何か」は、本当は本腰入れてやろうとしなければできないような性質のものだったということだ。だからこそそれは容易に始められなかったのである。仕事以外のことを生活の中心的な課題にすることは、かなり難しい。隙間時間にやろうとしても、その隙間すら仕事のことで埋まってしまう。仕事と干渉し合わないようにしながら、しかも生活の中心的課題として、いわばプロジェクトとして立ち上げることが先ずは必要なのだろう。(①プロジェクトとして立ち上げる)
次に必要なのは、その課題を行う時間を日々の計画の中に予め入れること。齋藤孝方式で言えば、緑の時間枠を日々の計画の中に入れておくことだ。空白の時間ができたら、そこを緑で囲い、課題を行う時間として先取りしてしまうことである。(②時間の確保)
さらに、それがプロジェクトであるためには、ゴールを設定し、ゴールまでの期間を見定め、ゴールから逆算してプランを練ることが必要になるだろう。(③ゴールの設定)
ちなみに野口悠紀雄氏の時間管理のテクニックも、このゴールから逆算したプラン作成についてであった。ゴールまでの時間は、場合によって数ヶ月のスパンということもあるが、一般にある手帳は月間もしくは週間スケジュールが基本となっており、数ヶ月先を見通す一覧性に弱いということで、蛇腹式の超整理手帳が考案されたということだ。

とにかくここまでは、理論的な話であり、実際どうかについては時と場を改めて検討してみる必要があるだろう。僕は日経アソシエはパラパラっとめくっただけで中身は読んじゃいないが、きっとこんな話だったんじゃないかと思う。