ストーカー問題~浮遊する個人と混迷する都市化社会~

変な男につきまとわれた。まったく面識のない男。
自転車でいきなり背後から近づいてきて、話しかけてきた。最初は何を言っているのか分からなかったが、注意して聞くと「ス○ーカー」「バ○」と言っている。
一見普通の若者なのに、こいつ何者(何様)?である。いや、そう思う間もなく全身を悪寒が走った。一瞬にして呼吸困難。僕は道を引き返し、人だかりの方へ向かって歩いた。
今もってこいつの正体は知る由もない。おそらく、日常生活の様々な場面で波乱や軋轢を生み出している人間に違いない。
帰宅後ネットでストーカー事件を調べてみると、この国はストーカー天国なんじゃないか?と思えるくらい、これまで知らなかった様々な事件が起きていることが分かった。ストーカーになる人間は、人との関係の取り結び方を分かっていないというだけでなく、間違ったやり方に固執し快楽を得ている節がある。真っ当なやり方よりも、間違ったやり方に興奮してしまう倒錯的な人間なのではないか。
最近はアキバの無差別殺傷事件が記憶に新しいが、ある種の人間がとても危険な行動を起こすという現実。しかも、その行為を通して何かが得られると思っているのだろう。そういう人間を大量に生み出してしまう社会の闇を、どう考えればいいのだろうか。ひとつ肝に銘じなければならないのは、今の社会は一定の割合で、そういう種類の人間を生み出してしまうという事実の方である。
とりあえず出来ることは、こういう現実があるという認識と情報を誰もが持ち、必要な自衛をすることだろう。自衛の正しい方法が広く周知され、関係機関も適切に動き、事態をいちはやく沈静できることが望ましい。また、被害を受けた人たちが、ケアを受ける権利を保障していくことも必要だと思う。
都市化が進めば、人間は血縁や地縁の小さなコミュニティーから放り出され、別の形で人間関係を取り結ばねばならなくなる。それを学校や会社が担ってくれた時代もあるが、そこから零れ落ちる人たちが増えた今、既に過去のものである。孤立し浮遊した個人が、他人と関係を取り結ぶ方法を誤解し病的な妄想に取り付かれた途端、大きな被害が生じてしまう。それを阻止する抑止力は、今のところ個人の良識以外にないのかもしれない。