気になること

秋葉原無差別殺傷事件の被告の初公判があった。
ぼくたちは、彼を特異な存在として見てしまうけれど、それって違うんじゃないか。
ぼくたちは、もしかしたら彼になる可能性もあったのだと思って見てみるべきなんじゃないか。
 
こういう言い方は、多くの人に嫌われるだろうけど、この今の社会のおかしさを誰も無視できないとしたら、この事件は決して他人事では済まされないような気がする。僕個人の感覚でいえば、かつて付き合ってきた仲間に彼みたいなヤツもいたっけ?なのである。あるいは俺自身、彼と共通するものを持っているかも、なのだ。
 
山本真純アナの自殺は、「産後鬱」を改めて社会に問うことになった。
僕は彼女のことをあまりよく知らないけれど、下の名前にかすかな記憶をもっている。
現代の日本社会は、毎年自殺者だけで3万人を数える。交通事故死者は1万人。まさに「自殺大国」なのだ。
この現実をメディアはあまり真剣に取り上げていないけれど、真面目に考えるべきである。(今の中高生の方が、このことを真摯に受け止めている) かつて『大河の一滴』 という本で、著者五木寛之が自殺大国日本を憂えていたけれど、あの本の指摘は今もって古びることがない。五木氏の作家的嗅覚が優れていたことを改めて思うのである。
 
そして、現在の日本経済の黄昏。
 
先日のネットのニュースでは、30代の引きこもりが予備軍を含めて60万人だったかな?
正確な数字は失念したけれど、俺の世代の人たちが、今手足に枷をはめられちまっている。
悲しいニュースだった。かつて自分もひきこもりだった身としては、お前たち、何を甘えている!と叱咤したいと同時に、そうだよな、引きこもりたいぜベイベー的なカンジなのである。
シゴトはタルい派遣業務で、人づき合いも通り一遍でホンネを吐き出すこともできず(ホンネを吐き出せば、ケンカになってしまうから)、やってらんねーっつぅーの!といったカンジで生きた来たのだろう。
R35世代は、団塊世代に雇用を奪われてきた。俺たちより下の世代は、逆に団塊世代の大量退職によって、機会を得ることができたラッキーな世代だった。
R35世代の不運はよく分かる。でも嘆いていたってしょうがないとも言える。ぼくから言えるのは、まずシゴトをしなさい。収入は低くてもいいから、シゴトを通して社会を見なさい。人と接しない。
ぼくが20代の頃、そう言ってくれる大人がいなかった。だから、ぼくは、若い人たちに言いたい。
シゴトをして、人と接して、嫌な思いもするかも知れないけど、自立のプロセスをまずは経験してみろ。
そして、経済的に自立して自由を勝ち取れ。そこから色々なことを考える自由も生まれてくるはず。
今の日本の社会は、あなたの自由な考えを交流できるチャンスに恵まれている。多くの人と出会って、自分の思いをぶちまけて、他者の思いを知って、自分を高めるチャンスを得ればいいじゃんか。
オトコなら、沢山のいいオンナを探せ。沢山のいいオンナたちが、おまえがどうあるべきなのかを教えてくれるはず。こういう助言は、ちゃんと聴け。俺が20代の頃、そう言ってくれる成熟した大人の男は周りにいなかった。
残念だけど。