気が滅入ってきた

子どもたちの書いてるブログを見つけてしまう。
読んでみた。
だんだん気持ちが滅入ってきた。
学校では決して見せない本音のようなものが、そうした携帯ブログサイトの中では綴られていた。
そうして、それは子どもの狭い社会を見事にネットワーク化しており、リンクをたどれば、ほぼ知ってるメンツのブログを読むことができた。

彼らの多くは「家族」を喪失していて、だから家庭に自分の居場所がなく、学校に自分の居場所を探すんだけど、心を許せる人間がわずかにいるのみ。彼らは心を許せる相手とそうでない相手を区別し、小さなテリトリーにひきこもっているように見える。
ちょっと俺のことも名指しで書いてあったりして、ちょっと馬鹿にされているのだろう…と解釈したが、そんなことは別にどうでもいいことだ。すべての子どもに愛される教師なんか、やっちゃられん。

どうして、この国は、こんなに豊かになっているのに、子どもたちの心はこれほど荒涼としてしまっているのだろうか?
土日の日記には「暇で死にそうだ」と書かれ、「誰かメールくれ」と叫んでる。「孤独に耐えられない」とでもいうように。
共通しているのは、「眠い」「だるい」「体が不調」の大合唱が起きていることだ。
「だるくて学校なんか行ってらんない」「まじでむかつく」とか、そんなことばかり言い募ってる。
そして、友達同士集まって、カラオケに行ったり、マックで飲み食いしたりしている。それが今の生活の中で、唯一の楽しみであるというように。遊びほうけている彼らは、心配する家族をかえりみようとしない。家族は「ウザい」と一蹴される。別に彼らが非情なわけではないのかもしれない。「このうちは勉強なんかできる環境じゃない」と彼らは書いている。親は親としての責任を果たすことができないまま、彼らを放任してしまっているように見える。

彼らも、いつかはオトナになるだろう。でも、それはいつか? どうやって?
少なくとも、学校はその答えを与えることはできなさそうだ。

不思議なのは、授業中にメールをやっているような連中が、熱心に塾に通い、自分の学力のなさを嘆き、高校に入れるかを心配し、勉強が足りない自分を叱責していることだ。本当に高校なんか行きたいと思っているのかと自分を問い詰め、でも高校にも行けなかったら人生はやばいんじゃないか、と恐怖を感じているみたいだ。そこには希望の片鱗すら見られない。
なぜ今の社会は、彼らをこんな形で追い詰めてしまったのだろうか。(むかしだって、十分こどもたちを追い詰めていたかもしれない。ただ、それを自ら表現するツールがなかったために、表現が表立たなかっただけかもしれない)
彼らが楽しい人生を歩めていないことは、あきらかだが、悲しいことに、子どもたちはそれをきちんと自覚してもいる。それが、いっそうせつない。